「出来ない人」はいない

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出来る人 出来ない人

最近多少は世界が広がっているので、色んな人とあったり、社外の組織を見る機会が増えてきました。
そこでなかなか難しいな、と思うのが「出来る人」「出来ない人」の存在

社長のお話を聞いたりすると、かなりの確立でモデルケースとしての「出来る人」や、「出来い人」「物足りない人」のお話を伺うことが多い。
2:8の法則だったり、2:3:3:2の法則として認知されている話ですね。

小学生ぐらいで、既にこの区分けがあることは皆さん体感されていることでしょう。
しかし、これは会社組織にとっては、大いなる誤解だと私は感じています。
なので、そういう話をするんだが、最初はなかなか信じてもらえないですね。
そのくらい、「常識化」している厄介なもの。

私は、「組織の仕組み」や「適正配置」が2:3:3:2なのであって、「出来る人」「出来ない人」とは関係ない、と考えています。
そのようにアドバイスする。
そう考えないと「組織の力」や「チームワーク」なんか発揮しようがないんです。

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仕組化からの観点

私は製造業で暮らしているから「出来ない人に合わせる」、「誰でもできるようにする」というのが原則、というスタンスで物事の改善を進めるのが得意。
報告/会議でも意見がでない、のは「仕組みづくり」のほうが足りてない、と私の経験則から思うところでもある。

だから、私の中では「出来る」「出来ない」で「二極化」はしない。
取り組みを始めるときの「キーパーソン」という考え程度はある。
「柔軟性がある」「行動力がある」「問題意識が高そう」とかもっぱら人間性としての、話した直感で得ている。
ものごとを進めるときの「適材適所」という言い方に近い。
「What」を「決める」特性と「決まったことを改善していく」「How」特性は違うんですよね。

もちろん、「この人は頭がいいな。回転が速い」というのもある。
ただ、組織にとって、そこはあまり重要ではない。
むしろ、頭の回転が速すぎて、「言葉に表せてない」というパタンもよく見たりする。

「会社に入っている」という時点で皆さん最低限のことはクリアしているわけだし、話を聞くと「言われたことはできる」という。
十分じゃないですかね?
ここに「学んだことはできる」「改善もできる」を加えれば上々。

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「出来る人」の呪縛

目から鼻に抜ける、人がいたらいたで重宝するでしょう。
右腕になるかもしれない。
でも、右腕は一人だけでやっぱりいいわけです。
そんなに何人もはいらないのだ。
「出来る人」の呪いというか、「出来る人」はどうしても「出来ない人」に比べると、すべてをコントロールするところがある。
その技能を伝える仕組化が出来ていない組織では、弊害を生むことの方が実は多かったりする。
「出来ない人」からすると、怖くて何もいえなくなる、ということもある。
役職者と社員の間でもそのような関係性が往々としてある。

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適材適所の誤りでは?

皆がリーダーやファシリ、発言者になってもしょうがない、という会議や、組織のあり方の問題もある。また、ポジションに適性がない、ということもある。
小さな話だが、何度か士業仲間のボランティアとして、イベントで祭りのお手伝いをすることがあった。
私は子供とキッチンカーとかやってたぐらいだから、行列や子供への対応は我ながらこなれている。
でも初めての方もいるわけですよ。
そんなことで「出来ない人」扱いされたってしょうがないです。

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学習コストが低い人が「出来る人」扱いされる

よくあるのは、「環境適応」できる人が「出来る人」という扱いになっているパタン。教えてもいないのに、誰よりも早く何かを身に着けていく、という。確かに目立ちますよね。「出来ます」よね。

でも、学習機会を設けたら、みんなそうなるかもしれないわけだ。
みんなが「出来る人」。
屁理屈のように見えるかもしれないが、こういう組織をつくることは可能ではある。
経験上「製造業」は割とこうなる素地がある。
一方で、忙しすぎる事務や営業はこうなりづらい感覚はする。
なぜなら、「できる人中心」でものごとを動かし過ぎているから。「出来る人」が抵抗勢力にもなっている場合が多い。

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出来ない人を組織で作ってるだけ

ノウハウを伝える「仕組み」がない組織はびっくりするほど多い。
これは中小だから、大手だから、という話でもない。
「できる人」はえてして忙しいものだから「技能を伝える」ことをほぼやらない。
ポジションがあがっても自らは「環境適応」してきているから「学習機会」の必要性がわかっていないということもある。
「名プレーヤーが名監督にはなれない」という理屈。

世間でいうほど「出来ない人」っていないんですよ、というのが私が強く思うことです。