部下を呼び捨て

その他

「部下を呼び捨て」というのは、意外かもしれないが「ホワイトな大企業」でも多い。

もっとも、私の経験値はしれたもので、知見があるのは大企業2社と中小企業3社程度だが。
そこら辺は差し引いて読んでもらいたいとして。

「大企業で多い」というのは、人材の流動性のなさが関係していると思っている。
「年下が上司」という大前提がなかなか崩れていないせいと思える。

私の前職では転職率が50%とやたら高いせいか、「○○さん」というパタンが多かった。
もう30年ほど前だがそうだった。
今の基準ではブラックだったかもしれないが、私には合っていた。

すごく周りに恵まれていた。転職したのは、多少つらい時期だったのと、「1度はやっとけ」とこれまた転職経験者の先輩にそそのかされたせいだ。感謝してます。

この10年でさすがに大企業でも上司と部下の年齢逆転は発生し始めた。
それでも、なかなか風土は変わりづらい。
役職逆転した年上が年下を何と呼ぶかはなかなか問題らしい。

私がいる組織では、もともとは役職名をつけずに目上を「○○さん」と呼ぶ風土だった。
今では逆に「○○部長」「○○課長」と呼ぶようになってきた。
年下を「○○さん」と呼ぶことに抵抗があるようだ。

奇妙なことに、そういう人は、相手が目の前にいると「○○部長」と呼び、よそでは「○○君が」といい方を変える。

私はこういう滑稽な事象を反面教師にしているところもあるが、昔から誰であっても「○○さん」と呼ぶことにしている。
「命令するには呼び捨てがいいよ」とアドバイスする人もいるが、昭和のスポ根じゃあるまいし、と思う。

これも前職の上司に見習うべき人がいたおかげだ。
当時まだ30歳ぐらいと若かったが「スタイル」を感じさせる人がいた。
転職組のせいか、ポリシーのせいか、「○○さん」で新人の私を呼ぶわけだ。

叱責するときでさえそうなんだ。

プログラマは割と「本場風」にあこがれてコードのコメントにふざけたことを書くという文化がある。フリーソフトウェアなんかも全盛の時代だったから、割と許容もされていた。
しかし、その方は「お客さんに収めるものには絶対ダメ」という鋭いポリシーを持っていた。
ソフトウェア会社で、割とラフな格好が多い中でも、「お客さんにいつ呼ばれてもいいように」ときちんとスーツを着ていた。
私も見習った口だ。

そういうとこだけ聞くと、単に偏屈に見えるがそうではない。あんなに驕ってくれる人はいないな、と思うくらい奢ってもらった。高校時代はキャプテンとしてインターハイに出、スポーツで大学推薦、プロボクサーのライセンスまで持っていた。

大学体育会の上下関係が肌に合わず大学中退したがさもありなん。
卒業してれば、大企業でも相当上に行けたろうな、と思える。
別に大企業がえらいというわけもなし、行ったら行ったで、変に政治的なところでまた嫌気がさしそうな先輩でもある。
「漢気」を感じさせる数少ない一人。

そういう人がいる、というのは中小企業の魅力の一つであり、診断士としても心のどこかに先輩の姿がある。今は取締役をされている。

話を元に戻そう。

大企業は何万人もいる割には「同期」とか「先輩後輩」がなかなか面倒な世界でもある。
結束は有効だから、人事的に「同期意識」を育てて洗脳する、という面もある。

いいところもある反面、精神的成長を阻害している感じもする。
「○○さん」呼びができないほど幼児性が高まっているのは、かなり制度疲労が起きている。
遅かれ早かれ変わらざるを得ないだろう。

「人をどう呼ぶべきか」なんてことは、「ハラスメント」でもない限り、組織が教えてくれるものではない。
服装と同じく、その人が身につけるべき「スタイル」だと思う。
「オラオラ」スタイルは「活気」があってムラ社会の中では居心地がいいのかもしれないが、あまり「恰好いいものでもない」し「共感をよぶこともない」から、捨てていった方がいいと思う。