「本質」よりも「論点」で

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「本質」と言い過ぎない

会議や打ち合わせのインプットで「本質」という言葉がでてくることがありませんか?
「本質は売り上げをあげる話ですよね?」「失敗の本質は?」とか。
カッコいいので、使いたくなりますね。

でも「本質」という言葉はなかなか厄介です。
「本質」とは「余計なものをそぎ落とす」これに尽きると思うんですね。
これ自体は悪いことではないです。

ただ、「本質」には、そぎ落とす意味が強すぎて「思考停止」に陥らせることが多々あります。
「はっ」とさせる一方で「ぼんやりしすぎてる」ということが多い。
会議ではこの傾向が強いです。
社長や役員あたりがこの「言葉」を発すると、「シーン」みたいな。
組織によっては「社長が言った『本質』の『意味』は何だと思う?」みたいに「『本質をさぐる』会話」がさらに繰り広げられることも。
「禅問答」ですね。

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「論点」思考でものごとが進む

「本質は?」と問うと、聞いてる側からすると「正解は何だ?」と問われる感じがします。
でも「正解」なんてないですよね?
多くの場合、これは言ってる本人も明確にではないにせよ「論点を明確にしろ」「論点をもう少し掘り下げろ」「大枠の論点は何?」の意図です。

例えば、
「売上の主要因は人数的にはトップ20%の大口だ」
という事実があるとしましょうか。
すると「トップ20%をさらに30%に拡大できないか?」という考えますよね。

でも、脊髄反射的に解決策に飛びつく前に「売上が計画未達だ」「事業ごとの達成度にばらつきがある」「そもそも計画は妥当なのか?」という「論点」があるはずです。

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現場への権限移譲

結果に対して、「なぜ」でさかのぼっていく考え方でもあります。
「結果」「問題」に対して上流の「論点」を明確にする。

なぜ必要か?
「組織的に動く」「話を共有する」ということについては、大上段の「論点」から落としていくほうが、有利だからです。
ここが共有されてないと、伝言ゲームのように対策アクションがずれていくことになるからです。
多くの企業の場合、最低でも3層ぐらいの伝達経路はあります。
経営トップ→管理職→一般のように。
経路の中で、現場に権限を委譲する、アクションのずれを最小限におさえる、ために必要となる考え方です。
ものごとを進めるためには大上段の「論点」をまず明確にすることです。


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