テレワーク、そろそろ終わりそうですね。
アピールとして「テレワーク導入してる」ぐらいは言い続けるしょうが、本筋としては戻るでしょう。
あまり人の入れ替わりがなく、それなりに統制が取れ、「絆」があるところはまだまだテレワークを続けていけるんだと思います。
人の入れ替わりがあり、もともとドライなところがあるところ、大手ほど急いで戻していくんじゃないか。
言語化するきっかけだっただけ
「やりがいを感じられない」「成長しない」「管理が難しい」とかいう問題が出てるようです。
ただ、こういう問題は「テレワークでなくても、同じなんじゃないの?」とも思いますね。
「テレワークならでは」はなくて。
もともと、「不安だなあ」と思ってたことを、「言語化するきっかけ」だったんじゃないか。
「テレワークどうでした?」
「いやあ、管理が難しいですね~。」という人はもともと管理が難しいと思ってるわけ。
「やりがいを感じられないです」という人もそう。テレに限らず。
出社で「不安」が軽減していたかも
こういう「不安」が、出社の頃は軽減されてたんだと思います。周囲の助けによって。
「不安」とか「癖」は自分が思ってる以上に態度に普段出てるものです。
周りはそれを読んでくれる。
「管理が難しいですね~」という上司には、部下は「他の人がやりこめられている」のを観察し、報連相を手抜かりなくやる。
「やりがいを感じられない」という人には、PCのキーたたく速度がおそい、ため息が出てる、のを察して、それとなく相談にのる、とか。
「ウェット」な「相互補完」が少なからず人事異動や組織を回しているところはあります。
もちろん完全ではないから、転職者も出るし、ハラスメントもおきますが。
人間は群れをつくる動物だから
「ウェット」な部分がなくなると、どうなるか?
私は「会社ぐらいなら意外と困らないんじゃないの?」と思ってます。
精鋭部隊とか司令官なら困るかもしれんが、と。
ただ、会社でも「ウェットさ」がないと困る人は困るんだろう。
「組織」ってのはウェットさを好むところがある。そういうのを好きな人も多い。
なぜなら人間は群れをつくる集団性の生き物だからですね。
「一体化」のために企業スポーツなんかありますし。精神論とか風土論とかもそう。
企業スポーツは不景気ではなくなることも多いので、ロジカルではないですね。必要な時にない、みたいな。
ウェットも大切
一方で、「このままテレがいい」という人はドライ派だと思うんです。
「会社は金を稼ぐだけの場所」みたいな。
でも、「悪いことは言わないからウェットを理解しろ」と言っておきたい。
特に若い優秀な方々。
「人が何を求めているか、行間を理解する」という能力。これ、すごいウェットじゃないですか。
ドライを突き詰めると最後は独立志向に傾く。
でも、独立したら「上司があほで指示も言葉足らずだから」では済まなくなりますよね。お客様になるから。
組織のウェットさは理解しないといけない。
ウェットなところ、「テレワークは家事やるさぼり」という「思い込み」や「嫉妬」なんかも含めて世の中動いてるんだと思います。